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今朝の夢

2009/06/30 19:10
今朝、日本の宗教学界を率いている島○進さんと、なぜかお見合いする夢を見ました(笑)周囲も応援していて、実際会うところまでは見れなかったけど、すごく良い雰囲気でした(笑)あと、アロエを齧ってる夢と。
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インテリア・デザイン

2009/06/19 05:10
アイヌの宗教と世界観の話に関連して、宗教ってインテリアのようだと思いました。普通の家の部屋って、はじめはコンクリート剥き出しの殺風景だったりする。でもそんなのは人間の住む環境じゃないから、できるだけ居心地の良い空間を創ろうとする。打ちっぱなしのコンクリートを明るい色の壁紙で覆って、絨毯をひいて、剥き出しの事実を見えなくする。覆って隠してしまう。この「壁紙」というのは、この部屋(ある世界)を包む世界観であり、この部屋の雰囲気を決定的に決定する。うるさい柄の壁紙だったり真っ白だったり、優しい色合いだったり。あとは家具を置いて、絵画を飾ったりして、世界(コスモロジー)の秩序を設定する。

宗教とは、まことにそのようなものだなと思いました。

「宗教学」が私の宗教であること。

2009/06/15 20:36
今日は用事があって、そのついでに教授と一時間くらいお話しました。お忙しいのに私などのお相手して下さって、感激。教授って凄いなぁ…私の知識と言葉が足りないせいで、対話にもならなかったけど、ほんとうに楽しかった。今日のことはもう一生忘れません

今日の疑問点。
「宗教学が宗教になる、とは一体どういう事態が起こっているのか?」
「そうだとすれば、宗教学は私に一体何を与えてくれるのか?」
「私はどうして一つの宗教に収まりきれなかったのか?」
「ニューエイジは、一体どういうことを求めているのか?」
自分のことなのに、よく考えてみるとずいぶん謎なことだらけだ。

too far to realize

2009/06/15 00:40
いくら五蘊無我っていっても、やっぱり怨憎会苦とか愛別離苦とか求不得苦に苦しんでる「私」は確かに存在して、いくら「自己」は幻想で実体は無いといっても、「わたし」って意識は捨てたくても捨てきれないほどしっかり植えつけられていて、全ては縁起で成り立っているだけだって言われても…やっぱ無理があるわぁ!ってなってしまいます。まだまだ悟りには遠い私です。仏教って、視点が一歩ひいてるというか、クールじゃないですか?私は器が小さすぎて、そこまでなれないです。

クマ送りの儀礼

2009/06/12 21:53
宗教人類学の授業で、アイヌ民族の世界観について学んでるんだけど、この間「クマ送り儀礼」というものを昔の古い映像で見ました。

母親と一緒にいる小熊を捕まえて、母親はすぐに食糧とかにしてしまって、小熊だけ一年間狭くて暗い柵の中で食べ物を与えて、そして最後の日、縄で縛ってそこらへんを適当に歩かせて遊ばせて(というか無理矢理連れ回して)毒矢で殺す。その熊の毛皮を剥いで飾る。頭蓋骨は脳味噌をくりぬいて、大切に飾る。それからその血は、お酒に入れて皆で飲むとか言ってたっけ?(ナレーションが英語だったからちょっと確かではありませんが

文章で書くと何でもないんだけどね、映像で見るとかなりリアルで、ショックだった。小熊が、矢で打たれてウギャッ!!てなってるのに、周りの人間はお祭り騒ぎで、笑ったり踊ったり。人間がこんな野蛮で残酷なことしているなんて!って。現代人には「動物虐待」というふうに映るのだろう。こんなことをして動物が喜ぶはずがないし、一体昔の人は命を何だと思ってるんだろう、人権も何もあったもんじゃない!と、一昔前の私ならこう怒っていたに違いない。

しかし、エリアーデの宗教学やアイヌ民族の宇宙観、世界観、神話などをあらかじめ知っていると、物の見方が180度変わる。本当に豊かな世界になる。アイヌの人たちからすれば、自然の植物、動物は人間の役に立つために化身となって人間界に現れる。クマの神様にお酒や食べ物を振舞って、いろんなお土産を持たせて神の国に帰ってもらう。人間界は楽しいところだったと、また来たいと思ってもらうために、踊りなど、楽しいことを全部神の前に披露しなければならない。これは、人類学的に、コミュニタスが成立しているわけで、沸騰状態、ストレス解消の言い訳なんですが、上手くできてますね。

本来は、生きるということは、それほどまでに残酷で、悲劇的なこと。自分の生命を維持するためには、他の存在者の死を必要とする。それも、毎日毎日殺して食糧を確保しなくてはならない。それくらい、生きるというのは、重みのあること。ちゃんと四角く切られて、パッケージに入れられたお肉しか見たことない私達にはもう理解できないでしょ?それこそ、エリアーデは、人格が崩壊するくらい、理性が維持できなくなるくらいだって言ってました。

知性や理性を持った人間が、そういう悲劇的な現状を目の当りにして、それでも生命に「イエス」と言うためにも、宗教は、それが真であろうが偽であろうが、道徳・倫理的正しかろうが間違っていようが、そういう問題以前に、人間が自分達の今いる世界の現状と向き合ったとき、生きるために、生命とその生存を肯定するために、神話や世界観や秩序や意味が、必要であったのだ。その、「生命に意味を求める」という人間の性質が、宗教を必要とし、すべての精神活動とその他の活動はこの意味を求める姿勢に始まる気がしています。死や悪や苦しみのあることも知ってるけれども、それでも人間として生きるということを選んだ意志の表明としての創造、という点に、私は宗教または宗教学の意義を認めたいと思っているんです。

今日またひとつ自分が変わる。

2009/06/09 23:20
最近、「責任」というものについて考えさせられています。ほんとうに私ってドジでバカでどうしようもないから 今まで私には責任感とか、そういうものがすっかり欠けていて、なぜか私にとって良いイメージなかったけど、責任感って美しく素敵なものなのかもしれない

今日は、ホント良い薬になった。今日を機会に、もっとしっかりしようと思いました。

それに私って、ドジでアホでボケな上に、人間関係超苦手やし、判断力もないし、決断力もないし、空気読めないし、臨機応変に対応できないし、しょっちゅういろんなミスするし、すぐいっぱいいっぱいになってパニックになるし、ほんと私って人は困るわ。。あーやだやだやだ、なんか自分がやだ 

でも、今日また一つ自分が変わる気がしました。こんな日は、さっさと寝ますおやすみ

織物のシンボリズム

2009/06/06 22:42
最近はブログを おさぼりしていたので
少し元気も出たところで、宗教ネタ いきたいと思います。

エリアーデは様々な主要なシンボルを挙げていますが、私が印象的だと思ったシンボルは、「織物」です。織物、糸、紐、というシンボルは、神話や宗教体系の随所に表れているそうですが、日本だと、「縁」というある特殊な紐っぽいイメージが分かりやすいと思います。

「太陽、神々、或いはブラフマンは「世界」を≪織る≫。それゆえ織物は織り手に依存している。「世界」は誰か他の者によって造られる。それどころか、それは紐で創造者に繋がれているのだ。…諸「世界」と存在物は≪自由≫ではないし、またありえない。それらは自己自身の意志で動くことはできぬのである。…≪生きる≫こととは、「世界」、「時間」、「生」を織りなしている神秘的な力によって≪織られる≫こと、あるいは目に見えぬ紐によって宇宙主催者(太陽、ブラフマン、人格神)と結ばれることに等しい。どちらの場合にも≪生きる≫こととは、条件付けられること、何かある他者に依存することに等しい。…そのもとでは、人間は全く時間的な存在の内にいるのだと感ずる 。」(著作集六巻p234)

「時間」の中で生成し、存在すること、持続することとは、「目に見えぬ糸や網によって、彼が作り出す(もっと厳密に言えば、彼が自分自身から≪出発する≫)諸宇宙と諸存在とを繋ぎ止め、保持 」されることなのですね。

でもこれってとても素敵な人間の存在理解の仕方だと思います。

なんとか・・・

2009/06/06 22:32
コペルニクス規模の発想の転換をはかって・・・
少し元気に・・・良かった。

自分がいつも自分らしくいられる方法を
見つけていかなきゃ。

この作業は、わくわくして楽しみ。
仕事が一段落したらたくさん好きな本読もう☆

視野が狭くて、一点しか見れなくなって、
煮詰まって煮詰まってボカン
と自爆してしまうのが
いつものパターンだから

私に必要なのは、客観的に、そして柔軟に、
物事を考えるようになること

ひろぴーさん、心配してくださってどうもありがとう
心から嬉しかったです


つかれ

2009/06/05 16:38
ちょっと、疲れてしまいました。

自分の実存に、意味を見出せないとき、
自分の生存に対してYesと言えないとき、
みなさんはどうしているのでしょう?

生きていて、楽しいことはたくさんあるのに
将来にたくさん希望もあるのに
生きる気力が削がれてしまう。

原因は、たぶん分かっているけど
今はどうしても変えることができないこと。

もう少しの我慢。
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