スポンサーサイト

--/--/-- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

船井幸雄について

2009/02/26 01:20
巫女バイトをしたり、塾のバイトをしたり、誕生日を迎えたり、トルコ料理を食べたり、ライラの冒険を読んだり、「奥様は魔女」(ヴェロニカ・レイク主演の方)を見たり、していました。

スピリチュアリズム探求は、勉強とはまた別の、私の趣味なので、いろいろ読みます。今日は、『マンガで読む船井幸雄のスピリチュアルな世界』という割とちゃらめな本をさらーっと読んでました。船井さん自身は、経済界で活躍してるので怪しい人ではなさそうなんだけど。幽霊というのは原子核の集合体だとか、磁気測定器で500ミリガウスだとか、マイナスイオンが千個以上を測定したとか、シューマン共振とか、けっこう科学的にスピリチュアルを語っちゃってるんだけど、この人の言ってることは理系をしっかり勉強した人からしてみたら正しいことを言っているのかしら?…とは言え、けっこう楽しめました☆
スポンサーサイト

善悪の彼岸2

2009/02/19 13:39
前回は「自分を見失いそう」とか書いてましたが、割に大したことはなかったみたいです。私はニーチェに関しては、宗教学どうのこうの(キリスト教道徳とか宗教が貶されるのは少し悲しかったですが、なるほど確かに一理あるなぁと思いました)もおもしろかったですが、それよりも、私の人生に活力をもたらす哲学者として、好きや!!と思いました。でも、けっこう共感はしましたが、そこまでニーチェ凄い?天才?ぶらぼーぶらぼー!!と絶賛するほどの思想でもなかったです・・・とか言って、高みに立ってニーチェを見下ろして高貴ぶってみたり(笑)あー、すいません、本当に、ちょっと言ってみたかっただけなんです

     * * * * *
       * * * * *

おお 生の真昼よ!荘厳なる時よ!
  おお夏の日の花園よ!

氷河の灰色の この日 薔薇もて飾られしは
  なんじらを待つためならずや?

小川もなんじらを求め、風も雲も憧れに促され、
     この高く蒼空に沸きあがり
いと遥かなる彼方より なんじらの気たるを窺う。

ただ変わり行く者のみ なおもわが血につながる。

この歌は終わりぬ、
――憧れの甘き叫びは 死に絶えて聞こえず。

いましも世界は笑い、怖ろしき帳は裂け、
   光と闇の婚礼は始まりぬ・・・・・

        * * * * *
   * * * * *

善悪の彼岸

2009/02/18 00:58
ニーチェの『善悪の彼岸』を読んでいます。ニーチェは、すごい破壊力ですね、ただニーチェの宗教観のことだけ知れたらそれでよかったのですが、けっこう感化されやすいので私の人生観まで影響を受けてしまい自分を見失いそうです。

くまぶしさん、ひろぴーさん、先日はコメントどうもありがとうございます。今、お返事を考えているので、もうしばしお待ちくださいね☆

ゲッセマネの月光の下で

2009/02/10 18:09
『宗教的経験の諸相(下)』を読みました。素晴らしかったです。一言でまとめると、人間にとって宗教とはどういうものか、そして宗教は人間に対してどのような意義を持つのか、ということがお勉強できました。一番好きなフレーズは、「もし神が事実において有益であれば、宗教的意識はそれ以上は何も問わない。神はほんとうに存在するのか?神はどんなふうに存在するのか?神とは何か?それらの問いはみな些細な問題である。神ではなくて生活が、より多くの生命、より大きい、より豊かな、より満足を与えてくれる生命が、結局は、宗教の目的なのだ。宗教のいかなる発展段階においても、生命に対する愛こそ、宗教の推進力なのだ。」という言葉です。実はこれは、ジェームズじゃなくて、彼が引用したリューバ博士の言葉なんだけど(笑)それとか、いろいろ、です。伝えたい・語りたいことは山ほどあるけれど、百聞は一読に如かず、というわけで、一応は宗教学の古典的名著といわれてるんで興味があれば読んでみて下さい。

隠遁生活

2009/02/09 03:19
こんにちは。けっこう隠遁生活をエンジョイしているワタクシです。『宗教的経験の諸相(下)』を読んでいます。そこに、しばしば過度に陥りやすい聖徳の特徴として「純潔」が挙げられていました。「内心の不調和に対して極端に敏感な人は、霊的な事柄に意識を集中するのに邪魔になるとして、外的関係を次々と断っていくであろう。まず娯楽が放棄され、それから因襲的な「社交」が、それから実務が、それから家庭の義務が放棄され、その結果、かろうじて独居に堪えることができるにいたり…聖徒たちの生涯というものは、内面生活の純潔を保つために外的生活との接触の形式を一つまた一つと絶ってゆく歴史であり、この世の生活の複雑さから一歩また一歩と脱却してゆく歴史なのである。」と書いてあったので、これは正にワタクシのことを言っているのでは・・・?と少々不安になりました(笑)自分で自分が心配になりますね(笑)でも、ゾイゼやゴンザガの聖ルイのように、あそこまで病的にならなければ、あくまで「聖徳」なので、まぁ悪くないかな?と思います。

それから、やっぱりキリスト教って変!!!って『宗教的経験の諸相(下)』を読んでいてひしひしと思います。変っていうか、人間として、生物学的にも心理学的にもかなり不自然。現代的解釈のキリスト教は、当然現代に違和感のないように解釈されているので、すんなりと感動とともに受け入れられるのですが、一昔前のキリスト教の、聖人の手稿や話を読むと、やはりルサンチマンというか、かなり「素直じゃない!」というか、病的なまでにひねくれてるっていうか。キリスト教とか仏教とかいういわゆる救済宗教ってのは、やはり“高度”に“発展”してると呼ぶのか、やっぱり単純ではない何かがあって、かなり複雑に屈折してるなぁと思うのでした。かえって、ご利益信仰とかの方が、全然人間らしくて健全な感じがします。

113?118ページは、もう、おおおおー!なるほどー!!!という感じです。また一つ、神がどういうものか、はっきりした気がしました。自分の中にストンと落ちてきて、わざわざ書き写すのもまどろっこしい感じなのですが、とにかく良かったよー、ということです。

ムツゴロウの動物交際術

2009/02/06 18:47
最近の私・・・ロベール・ドアノーというフランスの写真家の展覧会に行ってきました。まじ良かったです。あと、訳あって歯を抜いてきました。こわかったー・・。

畑正憲さんの『ムツゴロウの動物交際術』という本を読みました。ムツゴロウさんが独学&体当たりで得てきた動物と上手く交際していくコツみたいなものを書いてあるんだけど、とにかくハートウォーミングでしたそして、人間だってホモ・サピエンスという動物である以上、いろいろ参考になります。命と命の関わり方や、心と体、愛や信頼、友情というものが、シンプルに、でもダイレクトにハートに伝わってきます。

愛とは何か、友情とは何かって、いろいろ複雑に哲学チックに考える方法もあるけど、意外にも真実は単純な足元に転がっていたり?!動物学から見た動物たちの自然な「愛」や「友情」の在り方にも、シンプルにダイレクトにハートに伝わってくる真実があるのではないでしょうか

英語力強化月間

2009/02/01 23:11
本日から、英語力強化月間に入ります。

稲荷の狐の不思議と回心体験諸々

2009/02/01 02:29
もう一年の12分1を消費してしまったのか。

伏見稲荷神社に行ってきました。日本人の信仰心って、こんなもんか・・・と、あの名物の、ぞろりと立ち並ぶ赤い鳥居に書いてある企業名を見て思いましたおみくじは「末大吉」。これは大吉の一番ランクの下、という感じ?でも、なんかあの場所は憑かれそうで恐かったです。「お稲荷さん」は、どういう由来の神様なの?狐と言えば、こっくりさんやら動物霊とか、憑きものとかのイメージがあるんだけど。。

と気になって調べたら、稲荷大明神は普通の(?)神様で、狐はその御使いだったんだってね。奈良の春日大社における鹿みたいなノリです。でもその狐は、神様の一族の資格も与えられてるから、よく分からなくなってしまったらしい。

あと、ハートフルなお話を見つけました。伏見稲荷のHPに載ってた話で、空海の弟子真雅僧正の著といわれている「稲荷流記」に「時は平安初期の弘仁年間(810?24)のこと、平安京の北郊、船岡山の麓に、年老いた狐の夫婦が棲んでいました。全身に銀の針を並べ立てたような白狐だったのです。この狐夫婦は、心根が善良で、常々世のため人のために尽くしたいと願っていました。とはいえ、畜生の身であっては、所詮その願いを果たすことはできない。そこで、狐夫婦はある日意を決し、五匹の子狐をともなって、稲荷山に参拝し、「今日より当社の御眷属となりて神威をかり、この願いを果たさん」と、社前に祈りました。すると、たちまち神壇が鳴動し、稲荷神のおごそかな託宣がくだりました。「そなたたちの願いを聞き許す。されば、今より長く当社の仕者となりて、参詣の人、信仰の輩を扶け憐むべし」こうして、狐夫婦は稲荷山に移り棲み稲荷神の慈悲と付託にこたえるべく日夜精進につとめることになりました。男狐はオススキ・女狐はアコマチという名を明神から授けられたとのことです。」…ですと。良いお話ですね。

さて、W.ジェームズの『宗教経験の諸相・上』を読みました。かなりおもしろかったです。下巻も早く読みたいです。神さまを見ちゃったり、声を聴いちゃったりの回心体験をする人ってのは、いろいろと特徴があって・・・。でも、もしイエスが目の前に現れたり、話しかけられちゃったりしても心配しないでください。スターバック先生は、回心は青年期における正常な現象であるとしています。そしてジェームズ先生は、プラグマティズム、つまり結果オーライなんで、その回心体験がその後の人生に良い影響を与えたならばそれでオッケーなんだそうですよ。
 Home 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。