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I am not ....I am...!

2008/11/29 23:32
うおーーーーーーーーーーーーーー!!!
なんだか猛烈に、衝動。
うーーーーむ、これは…。
どうしたものだろうか。
わたしは…わたしわ…。
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人間の首輪

2008/11/26 17:28
腕時計って、犬や猫の首輪と同じようなものに見えてしまう。どんな首輪よりも密やかに、したたかに、人間を拘束する。どんなに偉い人だって腕時計には逆らわない。不思議だ。たまにはそんな首輪はずして好きな場所で好きな時間まで遊んでみたい。

Witche's Market

2008/11/23 11:08
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高地にあるボリビアの首都で標高3600mにもなるという高地の町ラパスでは、ハーブなど精神に作用する効果がある素材や、乾燥させた動物などを売っている「魔女市場」が存在しているとのこと。これらの素材は医療や魔術・呪術などに使われるもので、術師や医師が物資を調達するために訪れるそうです。

よく売られているのは乾燥させたリャマの子ども。事故から人を守り仕事に幸運をもたらすための供物として使われるそうです。様々なものが売られていて、駄菓子屋のような雰囲気。リャマやハーブのほかにカエルや昆虫の体の一部などもあるとのこと。性生活を改善させる効果のある像もあるそうです。

魔女市場には病気の治療や占いなどを行う「ヤティリ」と呼ばれる魔術師などが訪れるとのこと。秘密の場所というわけではないので旅行で知らずに行ったら驚きそうです。

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081122_witch_market/より。

怪しげな黒魔術の匂いがプンプンして、かなり興奮します。本当にいつか行ってみたいです

マイケル・ジャクソンがイスラムに改宗

2008/11/23 10:58
あの世界的大スターであり、違う意味でも有名なマイケル・ジャクソンが、何をどこでどうなったのかイスラム教に改宗、名前が「Michael」から「Mikaeel(ミーカーイール)」になったとのことです。

もともとマイケル・ジャクソンは小さい頃に母親が「エホバの証人」の信者であり、マイケル・ジャクソン自身もそうであったわけですが、今回の改宗が起きたきっかけは「スリラー」の作曲を担当したSteve Porcaro氏の家でアルバムをレコーディングしている最中に、カナダ人のソングライターであるDavid Wharnsby氏とプロデューサーであるPhillip Bubal氏に助言されたため。

情報筋によると、彼らはマイケル・ジャクソンに対して、イスラム教に改宗することによってどのように変わったかを話し、マイケル・ジャクソンもすぐに共感し始めたとのこと。

そのため、イマーム(イスラム教の指導者)がモスクから呼び出され、マイケル・ジャクソンはシャハーダ(信仰告白)を行い、イスラム教になったとのことです。

Michael Jackson 'converts to Islam and changes name to Mikaeel' - Telegraphより。

なんか、一時の気の迷いだったんじゃなかろうか…と心配になってしまうのですが。イスラム教の棄教は死刑に相当しますから、すぐ「飽きた」とか言わなきゃいいけど。

どうしても納得のいかない話

2008/11/21 14:16
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大槻教授のお友達である安斎育郎教授。彼の授業を受けてましたけど、確かにスプーン曲げも目の前で見ましたけど、私は全然納得がいきませんでした。なかにはニセ・スピリチュアルで人を騙す悪い人もいることは確かだろうけど、、「もし霊が目に見えるのならば、霊そのものが光を発しているか反射しているはず。「たたる」には記憶や認識といった高度な仕組みを持った有機体でなければならない」って!

 霊ってそういう次元の話じゃないから、証明できないんでしょ?科学で証明できないから、だけではスピリチュアルを否定する根拠にはならないよね。はなから科学至上主義の頭でっかちなんですもんこの教授。そら「騙されないように自分でよく考えましょう」というのは大事なことだけど、彼の態度は科学の殻に閉じこもっているだけ。科学だって万能ではないことを知るべきです。

 彼は、近代的な教育を受けた大学生の半数が、スピリチュアルなものを何らかの形で信じていることを信じられないと嘆いていたのだけど、それってそんなに駄目なことかなぁ???

以下産経新聞から抜粋

 霊視や前世占い、占星術といった「スピリチュアル(精神的な、霊的な)世界」がブームだ。それらを扱うテレビ番組は軒並み高視聴率を獲得し、ベストセラーになる出版物も多い。だが、中には疑似科学やオカルト現象を妄信し、だまされて被害にあう人もいる。科学の視点で批判してきた立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎さんは「『思い込み』と『欲得ずく』が錯誤への落とし穴」と注意を呼びかける。(伐栗恵子)
 今月中旬に大阪市内で行われた関西消費者協会の講演会。安斎さんは趣味の手品を生かしながら、超能力やオカルト現象のトリックを暴いていく。
 例えば、スプーン曲げ。丈夫な金属のスプーンを指で軽くさすっているうちに、ぐにゃりと曲がり、客席からは驚きの声が上がる。だが、これは支点、力点、作用点をうまく利用しただけ。要領さえつかめば簡単に曲がるという。 
 「目の前で自分の理解を超えたことが起こったとき、超能力と思わずに、なぜ、こんなことが起きるのか、と考えてほしい」と安斎さん。「人間は、だまされやすい」ということを肝に銘じるのが大切であって、一番危ないのは「私だけは、だまされない」という「思い込み」と指摘する。
 「あの人の言うことだから、本当だろう」という主体性の放棄も、自らの心をだます行為だ。「自分の目でしっかり確かめ、自分の頭で判断する習慣を」と呼びかける。
 不幸に陥ると、その原因を霊に求める人がいる。問題の根本的な解決にはならなくても、「悪霊(あくりょう)のたたり」などのせいにした方が心の平安を得られやすいからだ、と安斎さん。「霊は、人の不幸の消しゴム係」と絶妙の表現をする。
 もし霊が目に見えるのならば、霊そのものが光を発しているか反射しているはず。「たたる」には記憶や認識といった高度な仕組みを持った有機体でなければならない。霊を信じるかどうかは個人の自由だが、「科学的な意味では存在し得ない」と断言する。 科学技術が進歩したこの時代に、人はなぜ、「スピリチュアル」にはまるのか。安斎さんは、それこそ、「なぜ」と問う力が弱まっているからだと嘆く。
 例えば、携帯電話やDVDの仕組みは、説明されても理解するのが難しい。科学が進歩したがゆえに、人は自分の理解の範疇(はんちゅう)を超えたものをそのまま受け入れてしまいがちで、それが超能力などを簡単に信じる傾向となって表れていると説明する。
 「ささいなことでも、『なぜ』と意識的に問い直してほしい。その背景には必ず理由があるのだから」
 さらに、“インチキ”を見破るには、「そんなことができるのなら、どうしてこうしないのか」と考えてみることが大切だと言う。
 スプーン曲げができるのならば、どうして金属加工技術として役立てないのか。そんな能力をもった人を生産ラインにずらりと並べれば、次々と金属加工が施され、たちまち製品が出来上がる。簡単に大もうけができる話なら、その勧誘員自体が大金を手にしているはずであり、そもそもそんなおいしい話を他人に教えるのか。「3週間で英語がペラペラになる教材」といった宣伝文句が本当なら、なぜ、その販売員はペラペラではないのか…。そう考える心のゆとりが必要だ。
 楽して得を取りたいという「欲得」と「思い込み」、それに「非合理的思考」が結合するとき、人はとめどもなく危うい「だまし」の深みにはまっていく、と安斎さんは警告する。

神の使いの脱走

2008/11/21 13:57
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮で20日、飼っているシカ28頭のうち5頭が“脱走”し、2時間半、境内を逃げ回った。

 全国の鹿島神社の総本宮である同神宮のシカは、天照大神(あまてらすおおみかみ)から使わされたシカの神、天迦久神(あめのかくのかみ)にちなみ、神の使いとされる。奈良・春日大社のシカの祖先は、同神宮から連れて行かれたという言い伝えもある。

 鹿島神宮によると、午前8時半頃、鹿園にカラスよけネットの設置工事をしていた業者が脱走に気付いた。鹿園の金網の出入り口を体当たりで開けたとみられ、3頭は直後に戻ったが、2頭は境内を駆け回り、約15人が捜索。午前10時頃、1頭を鹿園に追い込み、さらに1時間後、残る1頭を網で押さえ込んで、けがもなく鹿園へ戻した。権禰宜(ごんねぎ)の檜山真一さん(25)は「氏子に迷惑が掛からなくてよかった」と、ホッとしていた。

すずしい秋風の中で ゆめのように うつくしく

2008/11/20 23:43
「あらゆる探究は個人的で孤独なものである。」

?「エリアーデ宗教学の世界 新しいヒューマニズムへの希望」デイヴィッド・ケイヴ著より?

いいこと思いついた♪

2008/11/18 20:44
今日、エリアーデ宗教学と宗教心理学を両立させていく方法をひらめきました。とりあえずひらめいただけでそれで実際に上手くやっていけるのかは分からないけれど

今日のエリアーデ語録

2008/11/16 03:56
「われわれのなかのある者にとっては、「本来性」とは、われわれの両親たちに対して、「年長者たち」に対して、ブルジョワ社会と今日の価値観に対して、どのような犠牲を払っても達成すべき反乱を意味していた。」?『エリアーデ回想(上)』より?

ハイデガーの『存在と時間』、時間ができたら読んでみたい。

今日のエリアーデ語録

2008/11/15 16:02
「人間の必須の任務は、何よりもまず…愛すること、つまり倦むことなく生きる喜びを正当化することだ。きみの人生ときみの意識を変わらぬ喜びで満たすこと、悲惨、恐れ、罪悪、無力、不安さなどにもめげずに――これこそ本当に男らしい任務であり、人類の任務であると同時にきみの人間性の任務でもあるのだ。…喜びこそ僕らが待ち望んでいる新たな人間性の本当の構造にちがいないと僕は思っている。絶望的な悲しみを霊性の最高の価値として称揚すること、これこそ人類に対する最大の罪悪にほかならないと僕は思っている。」(吉永進一訳)

本来的に生きるとは。

2008/11/14 15:57
「自己の夢、想念、知覚を、どれほどばかげていても何らかの行為に表現できないなら、それは自己の実存への具体化が挫折したことになるのである。それは、存在者と自己の内的精神に対して存在する権利を与えないことにほかならない。…本来的な実存とは端的に言って、自己の始源型、すなわち自らが自らのために保持しているモデルに忠実であることなのである。…非本来性は、その含意からいって、自己の真の本性が求める責任を忌避し、自己自身の真理を錯覚し、自己破壊し、回避することである。…ある意味では、本来性に到達するためにも、苦難が必要となる。」
『新しいヒューマニズムへの希望 エリアーデ宗教学の世界』 デイビッド・ケイヴ著より。

また、あらゆる障害と苦難と破壊こそがその本来性を引き出して、自己を形成してくれる、とも書いてありました。まさに“歴史”とはそういうものであるべきですね。

真珠のシンボリズム

2008/11/10 23:51
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エルサレムの遺跡で発掘された2000年前に作られたとみられるイヤリング。金の輪に真珠とエメラルドが埋め込まれたデザインで、紀元前1世紀から紀元後4世紀の一品とみられる(イスラエル当局提供)

きれいね??なぜこれが宗教に関係しているかというと、エルサレムの遺跡で発掘された、というのもあるけれど、エリアーデによれば、真珠というのは立派なシンボリズムだからです。その美的価値、経済的価値は真珠のシンボリズムが形骸化した結果でしかないのですよ、詳しくは、著作集第四巻『イメージとシンボル』を読んでね

風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

2008/11/09 11:57
宮沢賢治の『農民芸術概論要綱』の冒頭を、たまたま目にしたので、ちょっと引っ張ってきますね。

「おれたちはみな農民である。ずゐぶん忙がしく仕事もつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい。…世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する。この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか。新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索ねよう。求道すでに道である。」

「世界に対する大なる希願をまづ起せ。強く正しく生活せよ、苦難を避けず直進せよ。…われらに要るものは銀河を包む透明な意志、巨きな力と熱である。」

宮沢賢治は、科学と宗教と芸術を融合した生き方をしていて凄いと思います。宮沢賢治の宇宙観と宗教観、素敵だなぁ?。労働ばかりで芸術や宗教といった精神的な創造を忘れかけた農民たちに童話を通してもう一度そういった理想や霊感を回復させようと、農業的指導を通しても必死に活動した点で、彼はエリアーデに似ているかな。おもしろいことに賢治もエリアーデも、芸術を、宗教を、「創造していかねばならぬ」という危機感にも似た強い衝動に突き動かされていたように思います。それから二人とも、「農民」とか「プロレタリア」の視点を忘れなかったことも。

シェマ・イスラエル

2008/11/07 15:58
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛しなさい。(申命記6,4-5)

インプレッシブな言葉です。完璧に、というわけではなく、とにかく自分の存在をかけて、一生懸命に神を愛しなさい。ということですね。

ユダヤ教の割礼や食物規定、安息日などのユニークな規則についてですが、これはユダ王国が新バビロニア(カルデア)によって滅ぼされたときに、ユダ王国のエリート達はカルデアに連れて行かれたのですが、カルデアにおいてはユダヤ民族は自治を認められていたそうです。そして割礼・食物規定・安息日などはこの頃にやり始めたのではないかといわれています。食生活・性生活・休日というのは、人間が他人と関係と築いたり生きていく上で重要な要素なのに、そこに厳格な独自のルールを作るということは、他民族との違いをかなり意識させられることになるでしょう。食事を別にする、割礼という目印をつけてユダヤの血統を守る、休日には皆で集まる、こういうことをしていたら他民族と打ち解けにくくなるのは当然ですね。こういった割礼や食物規定や安息日という不思議な規則は、他の民族と同化してしまわないため、自分達の民族性を保つための工夫だったのかもしれませんね。

そして、残ったユダ王国の住民も、新バビロニアは一方向移住政策を採ったせいで(北のイスラエル王国は双方向移住政策を採った。)独自の民族性を保ち続けることができたというわけです。

a street cat

2008/11/06 23:53
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この写真、ハッとさせられる。
一生懸命、健気に生きてる感じがして。
野良猫ってたくましい。

I am free to be myself, and I am here because I am desired so.

2008/11/04 23:11
「自分一人だけで生きていける」と思っているうちは、誰かに頼ったりする必要もなくて、愛されなくても平気で、だから隣人を愛し、助け合う、なんてことはなかなか難しいし、その必要性も理解できない。でも、イエスが言うように、持っているものを売り払い、着るものも食べるものも一切を捨てた貧困状態になったときに「誰かに助けてもらわなくては生きていけない」と悟るわけです。最終的には人間は、他者との関係の中に生きていかなければならないものだから、隣人を愛し、敵をも愛していくのですね。

このへんの、善いサマリア人の話なんかを聞いて感動してしまいました。

イエスは神なのに、自ら無力化して十字架刑に処されることを通して人間を救ったとされるわけですから、キリスト教は「弱者の中に顕現する神」の教えなんですよね。これって神さまとしては珍しいのではないですか?ユダヤ教やキリスト教はひどい迫害や歴史の屈辱を受けて、苦しみを生き抜き、苦しみの果てに生まれた宗教であって、その中で編み出されたCompassion(ともに苦しむ)という考え方は、私はなんだか素直に共感することができます。

今日出会ったエリアーデ語録

2008/11/02 21:24
「人は絶望を通してしか神に到達することはできない。」?『エリアーデ日記(上)』より?

「言語は個人のなかにおける共同体である。
私は言語を使うのだから、今や、世界史はすべて私の中にある。」
?『聖と俗より』?
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